了の日付

とんでもないクズが書いてるブログです。スマホで撮った写真をアップしてます。

打たれ弱い

自己分析してみたんだけど、これが僕の大きな欠点かな?打たれ弱いっていうと、いじめられっ子みたいなイメージを持ってる人が多いと思うけど、必ずしもそうでないと思う。非を責められたりバカにされたりすると、逆上するってのも打たれ弱さの一つ。確かにその通りだなと反省したり、それは違うよって反論できないから、逆上する以外に選択肢がなくなる。中学生までは、よく殴り合いの喧嘩をした。他に選択肢を持ってないから、力づくで相手を従わせようとしたんだな。大人になったら流石に殴り合いはできないから、都合の悪いことからはひたすら逃げるようになった(これはアルコールを含めての話。飲むと嫌なことから一時的に逃れられるからね)。そして、ニーチェの愛せない場合は通り過ぎよっていうアフォリズムを信奉した。

 

結局、打たれ弱さってのは自分の信念が無いってことに起因すると思うんだ。僕は信念ってものが欠落と言っていい程に弱い。そしてその分、刹那的。信念が無いから長期的な視点で行動できずに、目の前の享楽に耽ってしまうんだな、例えばギャンブルやアルコールとか。そして信念が無いから、他者の評価を重視してしまう。だって自己評価する力をほとんど持ってないから、自然とそうなってしまう。こんな欠陥人間が、よくぞこの歳まで破綻せずに社会生活を営めてきたもんだ。この点については、自分を褒めてもいいかもね(笑)。まあギャンブル依存性にアルコール依存性だから、見る人によっては十分に破綻してまっせと言うかもだけど(笑)。でもまあ、一つの会社に長年勤め続けてこれたのは事実だからね(その分、転勤や異動はメチャクチャ多かった)。自慢できるのはこの点くらいかな?他には人様に誇れるものはなんも無い。多分だけど、脳になんらかの障害があるんじゃ無いかって思ってる。最近は大人の発達障害とかのテーマが話題になってるから、いい医者やカウンセラーがいたら受診するのがいいのかもしれない。まあ、めんどくさいから行かないだろうけどね。

 

性格は変わらないから、この難儀な特性と上手く付き合っていかねばならないんだな。そうで無いと幸せにはなれないっていう確信がある(モノの本によると、欠陥とも言える自分の特性を他者の為に活用できた時、苦しみは緩和するらしい)。たぶん自力では難しいから、やっぱりカウンセラーとかが必要じゃないかな〜。入院で気付きは増えたけどね。どんなことに気づいたか。自分の考えは絶対に正しいと思ってるとか、本来こうあるべきだって自分の視点からだけで考えているとか、他人への配慮が皆無に近いとか、周りの人が僕に奉仕してくれるのは当たり前と思ってるだとか、無償の愛を周囲に求めているとか、強制的に周囲に自分の考えを押し付けようとしているとか、まあ酷いもんですな。これじゃあ、周りの人は離れていくわなあ。逆に長く付き合ってくれてる人はなんでだろう?今度聞いてみたいもんだけど、もう飲まなくなったからちょっとハードル高い(笑)。結局、なぜか自分が正しいと思ってるんじゃなかろうか?そして他人様に配慮しない。うーん、碌でも無いですなあ。他人様が自分のために貢献してくれるのが当たり前と思ってたら、感謝なんてしなくなるわなあ。

 

改善の為に、これからなにができるだろう?まずは周囲の人への感謝からだろうな。小林正観氏の言う様に、ありがとうって言葉を唱え続けるのもいいかもしれない。それか、もう吹っ切って悪人の道をまっしぐらとか(笑)。悪人こそが救われるってのは、こういうことかもね。どうしようもない性格なんだから、そりゃあ神様に救ってもらわないとさあ。でも、他人様に迷惑かけないようにってのは忘れちゃダメだな。そして自分の理屈があるなら、他人の理屈もあるってことが腹に落ちるといいんだけど。