了の日付

とんでもないクズが書いてるブログです。スマホで撮った写真をアップしてます。

大袈裟に言えば不死鳥

f:id:ryodate2022:20230407101601j:image

これ、俺のことね。今回の大病を含め、これまで数々のピンチに遭遇してきた。まあほとんどが身から出た錆なんだけどね(今回の病気はちょっと違う)。その都度、なんとか切り抜けてきた。これを不死鳥と呼ばずになんと言おう(笑)。

 

上記は半分冗談で半分本気。もしかして僕は、運命の傘に守られて生きながらえてきたのかもなんて、自我が極度にハイになった青年みたいな事を考えたりする。

 

その運命とは何か?なにか大きな事を成し遂げる為に生まれてきた。その何かとはなにか?それはわからない。でも、もう会社で出世する事もないし(というより、大病を患って雇ってもくれるだけありがたい)、すごい特許とかをとりそうにもない。特に取り柄や特技ってのはないんだよね。そうなると、もう相場で成功するくらいしかないんだよね。

 

こういう風に若い頃は、何かを成し遂げるというような事、立身出世みたいな事を考えてきたが、今となってはもうそういうのは無くてもいいって思えてきた。会社勤めしてるから分かるんだけど、偉くなったらなったで大変。責任が重くなるからね。江戸時代の書物でも、手代くらいが一番良くって、番頭とかに出世すると寿命が縮んだりするって書いてた。それなら、相場でお金稼いで、好き勝手に贅沢な暮らしをする方がいいって思う。

 

僕は相場で成功するには、奢侈が必要って思ってる(もしくは絶対的な禁欲)。でもこの奢侈ってのは意外と難しい。というよりかなりハードルが高いことが分かった。なかなかできないんだよね。でも大病を患ってから、ちょっとだけお金が使えるようになってきた。お金よりも治療優先って思ったから、医者や看護婦さんが勧めてくれる物を、無駄になるかもしれないとは思ってもどんどん買ったのが始まり。転ぶと危ないから移動はタクシーをお勧めしますって言われたから、長距離でも乗った。追加料金を払えば、家まで迎えに来てくれるんだよね。病院から駅までの乗合バスもあるけれど、なんとなくタクシーに乗った。保湿クリームがいいって聞いたら、続かないかもとは思いつつすぐに買った。こういうのって、死んだらお金は使えないってのが根底にあるのかもしれない。

 

でも、死んだら物も残しても仕方ないと思ったから、高価な時計の購入は見送った。死ぬ人に高価な時計が必要なのか?って理屈。でもこれは考えが変わるかもしれないな。だって今を幸せにって考えたら、見栄えのいい美しい物を身につけた方がいいと思うから。実際、退院してからハンティングワールドの鞄とか買ったりしたし。これは最近忘れ物が激しいから、セカンドバックは置き忘れるかもだから、ショルダーバッグが欲しかったってのもあるんだけどね。他には革ジャンにカーディガン、シャツも2枚買ったなあ。ちなみに高い時計って機械式だから、定期的なメンテナンスがめんどくさいんだよね。

 

他にはiPhoneとかを買ったなあ。よく使うから反応が早いのがいいって思ったんだよね。でも本当にお金を使いたいのは旅行。北海道に行くつもりだったけど、やっぱり病み上がりって事を考えて断念した。その分、食べたいものは値段を気にせずに食べてるけどね。

 

怪我の功名かもだけど、お金を使えるようになってきたのは良いことだと思う。周りの人からは、了ちゃんは金遣いが荒いってよく言われたけど、それは酒と博打のせい。僕がイメージする奢侈とはちょっと違う。

結局なにが言いたいのかって言うと、奢侈のとっかかりができたから、相場の成功が近づいたって思ってるって事。

 

写真は久々に行った上野駅。なお昨日は車券を買いにサテライト新橋に行ったら、ゲストで滝沢さんが来ていた。この人は一時代を築いた往年の名選手。まさかこんな間近でお会いできるとは。。。僕が競輪を始めたのはこの人の全盛期が終わろうとしていた頃。もういい歳と思うが、声には張りがあり元気そうだった。

一昨日の歩数 13600