了の日付

とんでもないクズが書いてるブログです。スマホで撮った写真をアップしてます。

人に感謝するのか?現象に感謝するのか?

これは、人に怒るのか?現象に怒るのか?と置き換えてもいいが、今回は感謝の方で考えてみることにした。直感としては、現象に対しての感謝を優勢に感じる。だって、積雪で困った日の翌朝に晴天で日が照っていれば、ありがたいって思うからね。困っている時に誰かに助けてもらったら、ありがたいと思う。でも、助けてもらうまではありがたいと思わないから、やっぱり現象に対して感謝しているんだな。

 

じゃあ、なぜ人に感謝するってのが候補になったのか?それは多分、蓄積や記憶。過去に何度も世話になってれば、その人に対して感謝の念を持つのは自然なこと。逆に何度も煮湯を飲まされれば、その人に対して憎しみが芽生える。そしてその人を避けるという学習効果が生まれる。なんか当たり前のことばかり書いているけど、過去に煮湯を飲まされた人にチョット世話になった時のことを考えてみたい。まあこれは普通に感謝だな。そして過去の嫌な記憶を払拭するくらいに感謝する事象が増えた場合、現象ではなく、その人自体に感謝することになる。まあこんなところかな?

 

結局、嫌な人に世話になっても、その行為自体には感謝しないといけない。それがポイントかな。当たり前のようだけど、これができない人も多いと思う(僕を含めてね)。大嫌いなAの野郎に世話を焼かれちまったけど、ムカつくよなあってのはやっぱり性格悪い。それに発展性というか将来性がないようにも思う。そのA氏にだって良い点もいっぱいあって、たまたま悪い面だけ見てしまったのかもしれないし。だいたい全知全能でない他人に完璧を求めるのは、大人の振る舞いではないですね(これは僕自身に対する戒めの為に書いた)。

 

こういう発想が出てくるのも、入院して弱い立場を経験しているからだな。弱いっていうのは語弊があるかもだけど、今の僕はなんの役にも立っていないのは事実だからね。というより、皆の大事な健康保険・共済保険を食い潰しているともいえる。でも健康保険・共済保険については、これまで僕が病気になったら支援するっていう約束というか契約で、長年費用を払ってきたからね。費用負担してくれることに対しては感謝するけど、どっちかというと過去の僕に感謝する割合が大きくなるかな。制度を作って運用している人にも感謝だけどね。

 

じゃあ僕が最も感謝すべき人達ってのは誰なのか?それがなぜかハッキリとは分からないんだよね。看護婦さん達への感謝ってのは、過去にこのブログにも書いてる通り、お医者さんに対しても然りで大変感謝している。それよりも、逆にいま僕が迷惑をかけている人を列挙すべきなのかな?でもこの点についてはもう自明で、職場の人達だろうな。大したことやってなかったとは言え、1名減っているのに増員は無し。まあ増員されちゃうと、僕の戻る場所が無くなっちゃうのでそれはそれで困るんだけどね。だから欠員を耐えて頑張っている職場の人達に感謝しないといけない。幸いなことに、そこそこの期間を勤めていた職場だったんだよね。いきなりやって来て急に休み続けたなら皆の怒りは大きいだろうが、そうではないから。さあ職場復帰はいつになるだろうか?とにかく不測の事態が起こらないよう祈ると共に、僕自信が注意しよう。

 

冒頭の感謝や怒りの対象が人なのか現象なのか?って視点は、入院してなければ持てなかっただろう。感謝知らずの僕には、いいキッカケだったかもしれない。感謝については、もうちょい突っ込んで考えてみたいと思う。