了の日付

とんでもないクズが書いてるブログです。スマホで撮った写真をアップしてます。

誰かが果物を採取し、僕に分け与えてくれる

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その対価として、幾ばくかの金銭を支払う必要があるが、その金銭なるものが単なる紙切れだったとしたら。。。

 

最近はこんな風に考えるようになった。もしかしたら、医療保険から保険金が支払われているからかもしれない。これはいわゆる不労所得だろう。少なくとも僕の労働の対価として支払われている訳では無い。時々ニュースで、保険金絡みの物騒な事件を見聞きしたりする。こういうのは人を狂わせるのかもしれない。僕ももっと保険金を掛けておけばヨカッタなどと、恐ろしいことを考えた。気をつけないといけないなあ、くわばらくわばら。

 

冒頭の本題に戻るんだが、紙切れは言い過ぎにしても、不労所得を使って誰かが僕に食べ物を分け与えてくれるならば、それは幸せだろう?食べ物だけじゃなくって、住むところも供与してくれて行きたいところへタクシーで運んでくれるなら幸せだ。そう考えると、労働はやっぱり損だな。そして効率が悪い。となると、直感的に労働よりも相場を選ぼうとしている僕は正しい道を選ぼうとしているのではないだろうか?労働者よりも投資家を選ぶって言った方がいいのかな?相場は競争相手が強力だけど、投資はちょっと違うような気もするし。

 

ただし、投資をするには資本が必要だ。金融資本を持たない僕は、人的資本を使って金融資本を蓄積する必要がある。労働市場における人的資本は、いずれ枯渇する。それまでは勿体無いから会社勤めを続けなきゃだな。幸い、社会資本に恵まれているのか、療養中で会社を休んでいるのに毎月の給料は支払われ、お見舞金や治療費の一部を受け取った。どう考えても、この環境(社会資本)を手放すのは惜しい。そして思うのは、社会資本が十分なら、医療保険は不要なのかもしれないなあ。逆に言うと、フリーランスの人には医療保険は必須と言える。でもまあ、僕の保険って月に数千円だからね。所得税の控除対象でもあるから、入っておいた方が良いとは思う。

 

もともと僕が目指していたのは、相場のスキルという人的資本だったんだよね。ずーっと昔、ヴィクター・ニーダーフォッファー氏が出ているNHK特集を見てそう思ったんだ。破産はしたけど、彼の能力を高く評価している人達がいるので、広大な家に住み続けられるって紹介されてたような記憶がある。そういう風になりたいなあって思ってたんだけどなあ。まあ、今からでも遅くはないなあ。もうちょい頑張らないとだな。

 

(写真の右上の小皿は、おろしポン酢。唐揚げ定食に70円を足すと、付いてくるんだ。僕のささやかな贅沢ですw。)