了の日付

とんでもないクズが書いてるブログです。スマホで撮った写真をアップしてます。

浮世離れ

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僕はよく、浮世離れしていると言われる。いや、言われていた。ずっと昔、学生時代の頃や20代の頃とかはね。例えば、大学四年生の時も就職活動を夏休み明けから始めたとか。その頃でもGW前には就職先を決めている人が多かったから、周りから世捨て人みたいに思われてたみたい。就職してからも、借金して競艇場に通ってたし。

 

それが今は昔で、社畜となって周りの評判を気にするようになってしまった。相対的にはそんなことを気にしない部類かもしれないが、それでも社畜社畜。休みの日も四六時中、仕事のことを考えていたりする。それじゃあしんどいから、酒に溺れたんだな。

 

でも、来春の降格が決定的になって、転機が訪れたように思える。あの長期入院ですら、社畜のマインドを変えることにできなかったけど、降格となればまた別の次元の転機ではないだろうか?前に配置転換の記事とか書いたりしたけど、そういうのが原因ではなく、年齢的な制限に引っかかったんだよね。

 

さて、今度はどうか?役職が付かなくなったら、僕のマインドは変わるか?いや、変わるか?ではなくて、変えないといけないな。だって、このストレスから解放されないと、辛いから。結局、人に認められたいんだよね。承認されたいんだよ、誰かから。その誰かが会社だったり、会社の人だったりということ。これは私だけではなく、ほとんどの人が多かれ少なかれ持っている感情だと思う。それを企業は利用する。競争させて、利潤を上げる。僕の場合、昇進したら下駄箱の場所も変わった。奥の方だったのが、入口近くの便利なところに移動してくれた。こうやって会社は競争を煽る(笑)。

 

そして、競争はしんどい。とにかくしんどい。車の運転免許みたいに、〇〇点を取ったら合格って訳じゃないからね。80点取っても競争相手が85点なら不合格。最初は篩が粗いから、明らかにどうしようもないのが脱落していく。でもだんだんと、競争相手が厳選されていって、競争が激化する。麻雀で、周りにカモがいないときは気をつけろ、お前がカモなんだって格言(?)があるけど、まあそういう感じ。昇進に関しては、運もあるけれども経験的には、運の要素は小さく実力がものを言うような気がした。

 

競争に加わらずに、自分のできることを精いっぱいやって、それを評価してくださいって心境になればいいけど、それは難しい。就職活動の面接や合コンで、精いっぱい自分を飾ろうとするのと同じ。ちなみに就職の面談はともかく、僕は合コンではありのままの自分を好きになってもらおうと思っていたので、全然モテなかった(笑)。

 

昔はそうでもなかったけど、今は評価や職位がダイレクトに収入に直結する時代だ。だから、競争に加わらざるをえない。それに金だけじゃない。やっぱり一日の大半を職場で過ごすわけだから、居心地よくしたい。そのためには、ある程度の職位が必要だ。ということで長々と書いたけど、結局は僕もその出世競争に加わった。そして戦い続けた。結果は負けたと言うわけではないけど、勝ったというわけでもない。勝ち負けの定義は人それぞれだから、なんとも言えないけどさ。でも戦いってそういうもんだろう?勝ったり負けたりで、決着が着くのは稀。はっきりしていることは戦い続けなきゃならないってこと。

 

でももうそれも終わり。来年4月には職位がはく奪されて、それが復活することはない。ある意味、ほっとした。でも、釈然としない点もある。それはもっと評価されても良かったんじゃないか?ってこと。でも客観的に考えると、実力以上に評価されたんだろうな。辞めずに勤務を続けた事は、頑張ったとは思うけどさ。

 

結局、評価とはなんぞや?満足とはなんぞや?ということだな。職位なのか?賃金なのか?やりがいなのか?どうすりゃ満足できるんだ?

たぶんそれは、人に認められることだろう。周りの人に大切にしてもらうこと。そのためには、会社ではある程度の職位は必要。買い物客の立場では、お金が必要。社会的には、身なりを整えてマナーを守ることが必要。やっぱり承認欲求からは逃れられないんだな。学生時代に浮世離れしていると言われていた僕だけど、結局は凡人だったということか。

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別府競輪の決勝は、大塚の頭から5点流し。競りが強力で、好きな選手だった。彼も記念では最後の決勝戦かもしれないなあ。

(結果:大塚選手は3着入線だけど、失格。)